

チャーリー西尾 Charlie Nieshio
シンガーソングライター・スイングダンス
ローゼンビート少年少女合唱団で浜渦章盛先生に師事。中学2年生の時にエルビスに憧れて以来ずっとリーゼントヘアー。カラオケ大会でも優勝。 1965年以前の音楽や文化が異常に好きな自分に気付き大阪芸術大学時代からその後もその研究に没頭。ロックンロールのルーツのカントリーやブルースを探るうちにスイングジャズに出会う。
バンドリーダーであるチャーリー西尾は群集をひとつにし、仕事も生活も多方面にわたる常連客を今日も歓迎している。快活な高齢者(戦時中もこうやってアメリカ音楽をこっそり楽しんでいたの?)から、ヴィンテージの一張羅を着飾った熱心な若いカップルまで、チャーリー西尾はまるで1930年代のカリスマ映画スター、日本のClarke Gable さながらポマードで整えられた髪、完璧なあつらえのスーツにカーネーションのブートニア。しかしひとたびショウが始まると、チャーリー西尾はその空間を彼のjumpin’ jiveで思いのままに操り、フジヤマチャロル、彼と9人の仲間と共にオリジナルの日本語スィングを歌う。
兵庫県川西市出身のチャーリー西尾は80年代から90年代にかけて東京を中心に一世を風靡したロカビリーの再ブームの申し子、代々木公園原宿通りは黒光りしたリーゼントヘアとプードルスカートのカップルがお決まりのようにweekly jive danceを競い合っていた。しかしその一方で、1930年代40年代のスウィングはその後10年以上も日本にお目見えすることはなかった。その理由を考える上で第二次大戦中、Big Band がアメリカ軍兵士の間で絶大なる人気を誇っていたことを考えれば想像は容易だろう。 ロカビリーに長い間没頭した後、チャーリー西尾は95年ロサンゼルスでのレコーディング旅行でスィング出会う。
大阪市西区新町にてスイングダンスクラブを経営、唄って踊る幸せな男。『スイングダンスは世界最小単位の平和活動!』をスローガンに活躍中。